2002




「教育ながさき」は,県内の教育改革の具体的な取組とその教育理論,各教科の優れた実践などをお届けする長崎県の教育雑誌です。

本年度は統一テーマに「21世紀を創る教育」を掲げ,下記のように特集を月毎に計画しました。

今年度の特集

4月 わが校の学力向上対策
5月 総合的な学習の時間の実践
6月 心を育てる学校カウンセリング
7月 今こそ基礎・基本を考える
8月 子供と向き合う生徒指導
9月 授業に生かすコンピュータ
10月 新たな視点で取り組む人権・同和学習
11月 実践力を育てる環境教育
12月 教育情報ネットワークの活用
1月 心にひびき合う道徳教育の実践
2月 個に応じた教育の創造
3月 特色ある教育課程の編成




原稿募集

日ごろの教育や研究に関する実践的で具体的な原稿を募集します。
○特集 ・・・ 上記「今年度の特集」に関する内容。約4,100字(図表,写真を含む)。
1葉の顔写真。締切日は発行月の2ヶ月前の20日。 
○授業ぷりずむ ・・・ 各教科等の実践報告。 約2,100字(図表,写真を含む)。 締切日はなし。

投稿先
〒856−0834
長崎県大村市玖島1丁目24−2  
長崎県教育センター内 
長崎県教育研究協議会長 宛
TEL:0957−53−1132

注意
・原稿の採否等は,本誌編集委員会で判断させていただきます。




購読申込

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「教育ながさき」編集室(長崎県教育センター内)
TEL:0957−53−1132

購読料
1冊 500円,年間 6,000円




記事サンプル(『教育ながさき』 平成13年度4月号 ”教育への提言”より)

言葉で心を磨く
NBC長崎放送勤務
平  野  妙  子

 私たちの言葉は,本当に生きているだろうか?と考えることがある。考えすぎと言われるかもしれないが,その言葉を発する時に,言葉通りの気持ちがきちんと乗せられているかどうかということである。
 「お世話になりました。」「ご迷惑をおかけしました。」私はアナウンサー時代,言葉と心の一致を心がけていたので,長崎から佐賀へ転勤してすぐの頃,番組にかかってきた電話で「もしもし,こんにちは。」と挨拶を交わした後,リスナーの方が「いつもお世話になっています。」と言われたことに対し,思わず「いいえ,私は転勤してきたばかりで,何もしていませんけど‥‥‥。」と,つい言ってしまった。この「お世話になっています。」というのは,人間関係を円滑にするため,挨拶がわりに使われている便宜的なもので,実は私も会社で電話の応対をする時に使っているが,相手をよく知らない場合は,やはり形だけの言葉になってしまう。
 「めだかのがっこう」や「小さい秋みつけた」などの作曲で知られる中田喜直さんが,去年亡くなられる前に,コンサートでお会いした時,似たようなことを言われていた。「僕は,日本人は言葉に対して無頓着だと思う。手紙の文で“長い間ご無沙汰していますが,お元気のことと思います”なんて,平気で書いたのが来ると,頭に来る。長い間会っていないのに,どうして元気だというのがわかるんだろう。日本語をちっとも考えていないんだね。」
 不祥事を起こした政治家,警察,企業等が「大変申し訳なく,遺憾に思います。」と言うのを耳にする。「遺憾」というのは,国語辞典で「思い通りでなく,残念なこと」。自分の(組織の)犯したことに対して使うのには違和感を覚える。この言葉の裏には,もし,その不祥事が表沙汰にならず,世間の批判を浴びなければ,思い通りになり「遺憾には思わない。」という本音が,見え隠れしているような気がする。




 1974年,当時のニクソン米大統領と,日本の佐藤首相との間で行われた交渉で,首相が使った「善処します。」という言葉は,「I'll take care of it.(何とかします。)」と訳され,アメリカの記者たちの間で「YES」と受け止められて,問題になった。今も日本の政治家たちの言葉はわかりにくい。
 こういうことを並べると,日本語の揚げ足取りと言われそうだが,言葉と心の乖離(かいり)は,少なからず,子供たちの教育環境に影響を及ぼしているのではないかと思う。言葉と心の一致がない場合,言葉は虚ろに響き,人は耳を貸さなくなる。言葉は次第に,記号や,飾り,空っぽの単なる音になってしまう。
 TV番組のクイズで,大人たちが,ビニールの大きな金槌を手に,相手が間違うと「死ね」と言って,頭を叩く場面がある。初めて見た時,心臓がドキリとした。そして,子供たちは遊びの中で,この言葉を簡単に使っている。ある日,普段は優しく,思いやりがあると思っていた若い女の子が,友達に向かって,ためらいもなく使ったのを耳にして,どんなつもりで言ったのか尋ねてみた。彼女は,聞かれたことそのものに驚き「別に何も考えなかった。」と言う。

 記号化された言葉は,子供たちの周りにますます増えている。「言葉」を失うと,同時に「心」も失ってしまう。「言葉」を発する時には,本当に心をこめて,本当に思っている言葉を使いたい。それは,相手を思いやることに繋がっていく。万が一,相手を傷つけたなら,その意味を考え,そこでまた,学ぶといい。
 悩み苦しんで頑張りつづけてきた人に「がんばって」と言うのは,かえって苦しめることもある。じっくり話を聞いて相手の気持ちになれたら「そう,それはきつかったね。」と言った方が,相手は少し肩の力を抜くことが出来るかもしれない。
 「IT社会を目指す。」と方向づけられた日本の社会の中で,容赦なく降り注ぐさまざまな情報と言葉。その流れに押し流されないよう,大人がまず,言葉に敏感になり,自分の言葉文化の中に,温かい,謙虚な,真実の語彙や表現を増やしたい。そして子供に語りかければ,それは子供たちの心の中にも,信頼を伴って吸収されていくに違いない。ある時は,その子の人生に不可欠な,輝く言葉となって。
 言葉を磨くことは,心を磨くことでもある。

 




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